扇の歴史
日本に古くから伝わる工芸品のルーツを尋ねると、中国、朝鮮に至るものが多い。その中で扇は日本で創作された数少ないものの一つである。九世紀に遡ることになるが、当時貴重であった紙の代わりに木簡が使われていた。木簡は薄いヘギ板で、それを便宜上綴り合わすことを工夫した。そのことが扇が出来るもととなりとなった。この桧扇は男性用は素地であった、女性用には美しい装飾が施された平安時代の雅やかな装束に相応しい持物と成った。そして桧扇はやがて冬の持料とされ、次に現れたかわほりと称される紙を貼った扇が夏の用とされるようになった。
この時代の紙扇は扇骨の数は五本位の細骨で表に紙を貼り裏には扇骨が露われているものであった。そしてこの時代に早くも文化の中心であった大陸に扇が輸出されたいた。続く鎌倉時代になると紙扇にも平扇骨のものが出来た。この扇はすべての扇骨に独
特の透かし模様が彫られた皆彫骨(みなえりぼね)の扇といわれるものである。残念なことにこの時代のものは一本も伝世してないが、当時描かれた絵巻物や蒔絵の手筥等から窺い知ることが出来る。この扇は軍扇としても使用され鎌倉を代表する扇といえよう。これらの扇はその頃、禅宗等の留学僧によって中国へ土産に持って行き重宝されたらしい。
工芸品ユニットからのお知らせ
- [ 2009/08/03 ]
- 日本の伝統を、時代に応じた感性でご提案
南北朝から室町時代になると既に中国に渡っていた日本の扇「倭扇」は彼の国で模倣され変貌を遂げた。それが「唐扇」と呼ばれて逆輸入された。この扇子は扇骨が扇紙の中に入れられたものであった。その影響で初めて中差し骨の扇が日本で誕生することになった。
この室町時代に三つの形が揃い、その後の日本の扇の基本型となった「末広」(すえひろ)又は「中啓」(ちゅうけい)と「雪洞」(ぼんぼり)と「鎮折」(しずめおり)が成立したのである。
「末広」は親骨と呼ぶ外側の扇骨を外へ反らすことによって扇を閉じた状態でも末が啓いた形となり、最もハレの扇とされた。「鎮折」はこれとは反対に親骨を内に撓めて畳んだ時に扇の先がピタリと閉じるものをいい、現在一番多く作られてる形で常の扇となった。又、扇はこの時代に端を発した香、茶、能等にも不可欠のもので戦国の時代を経ても現在まで生き続けている。
この室町時代に三つの形が揃い、その後の日本の扇の基本型となった「末広」(すえひろ)又は「中啓」(ちゅうけい)と「雪洞」(ぼんぼり)と「鎮折」(しずめおり)が成立したのである。
「末広」は親骨と呼ぶ外側の扇骨を外へ反らすことによって扇を閉じた状態でも末が啓いた形となり、最もハレの扇とされた。「鎮折」はこれとは反対に親骨を内に撓めて畳んだ時に扇の先がピタリと閉じるものをいい、現在一番多く作られてる形で常の扇となった。又、扇はこの時代に端を発した香、茶、能等にも不可欠のもので戦国の時代を経ても現在まで生き続けている。

江戸時代になると新しい芸能も出現し、それぞれに扇の形成が定まっていった封建制の然らしむるところである。又、町人層の勃興は需要の拡大となり量産の路が拓かれた。 一方では朝鮮にも伝えられた日本の扇が高麗時代から作られていたが、これも又逆輸入され骨数の多い「扇子」が作り出された。
やがてその扇子は大正時代頃から一般の夏扇の主流となって今日に至っている。
やがてその扇子は大正時代頃から一般の夏扇の主流となって今日に至っている。
現在作られている扇は古風を伝えるものと時代を反映した現在の扇子に大別され、古式のものは宗教の儀式や年中行事、冠婚葬祭の儀礼と結びついたものと芸能に使用されるもの、室内の飾り用としてかわほりや舞扇の形を転用したものが作られている。これに対して古来からの扇の約束にこだわらない現代の多様なニーズから製作された扇子も出来て、新しい風を起こしつつある。
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